坂元裕二的字裡行間- 日劇カルテット Quartet Doughnuts hole 四重奏 ... みぞみぞしてきた
3月 19, 2017最近實在沒什麼讓人覺得「好精彩!」的影集,除了依舊是水準之上的Homeland之外,我覺得The Good Fight並不如The Good Wife這麼深入人心,或許缺乏主角魅力的因素吧(當然劇情還是不錯的),Jack Bauer的Designated Survivor普普通通可以看下去的程度,另外The Walking Dead根本是在拖戲有夠難看。
不過日劇方面有一部坂元裕二的「カルテット」(四重奏) 應該是近期最喜歡的吧!為何他的台詞總是如此輕鬆日常卻充滿撞擊的力量呢?坂元裕二作為編劇的作品之前很喜歡的是「Mother」, 「それでも、生きてゆく」,「Woman」和「最高の離婚」,其中後三部更是我的愛。「Mother」探討的是棄養的問題以及母親女兒雙重角色下的掙扎和母性。「それでも、生きてゆく」講沈重的受害者家族與加害者家族的交錯下所揭開的深埋的苦痛(超愛瑛太與満島ひかり的組合),「Woman」是作為單親媽媽拼了命拼了命地守護自己的孩子,其中的眼淚和隨之而來的命運(同樣満島ひかり!)。「最高の離婚」則是兩對30代的夫婦,在婚姻關係薄弱的日本現今社會下所遭遇到的婚姻愛情問題與衝擊,台詞是經典中的經典。
延續「最高の離婚」那一點一滴生活化卻絕妙的台詞,「カルテット」也不知不覺令人身陷,在算計下的偶然情況中巧遇的四個弦樂家組成了四重奏,並搬到了輕井澤的同一個別莊,懷著各自的秘密和各自的愛戀,從一開始或許不那麼純粹的理由彼此慢慢地經歷一些什麼,發現一些什麼,而變成像家人一樣的存在與羈絆。從第一集的唐揚げ是不是要淋上檸檬汁所產生的對話,就開始了坂元裕二式的風格台詞,同時也把觀眾拉了進去,想著「啊~我就是喜歡這種感覺!」
例如喜歡到變成一種習慣而忘記自己喜歡著的雀(満島ひかり)和公司老爺爺的對話。
「私の好きな人には 好きな人がいて、その好きな人も 私は 好きな人て、
うまくいくといいなあって」
我喜歡的人有喜歡的人了,他喜歡的那個人我也喜歡,他們能順利發展就好了。
「君の『好き』は どこ行くの? 置き場所に困らないのかね。」
那你對他的喜歡要何去何從呢?它無處安置你不煩惱嗎?」
「私の『好き』は その辺に ゴロゴロしてるっていうか 寝っ転がってて。
我的喜歡呢,就在那邊閒晃,躺在一旁滾來滾去吧。
ちょとだけ 頑張る時ってあるでしょう 有時候也會想要稍微努力一下嘛
住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか 例如想把住址寫整齊的時候啦
エスカレーターの下りに乗る時とか 乘下扶梯的時候啦
バスを乗り間違えないようにする時とか」 想著不要搭錯車的時候啦
「卵パックをカゴに入れる時とか」 把雞蛋小心地放進籃子裡的時候
「そう 沒錯
白い服着て ナポリタン食べる時 還有穿著白色衣服吃拿坡里醬義大利麵的時候
そいう時にね 在這種時候
その人がいつも ちょっと いるの 那個人的身影就會稍微出來一下
いて エプロンかけてくれるの 在我身邊 幫我圍上圍裙
そしたら、ちょっと頑張る 這樣我就能夠稍微努力一下了
そういう 就像這樣
好きだって事を 忘れるくらいの 好き、変かな?」
喜歡到忘記自己對他的喜歡,很怪吧?」
「眩しいね。」
太耀眼了。
小雀和家森(高橋一生)的對話:
「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか?」
去過的旅行可以成為回憶,沒有去成的旅行不也能成為回憶嗎?
例如宮藤官九郎所飾演的真紀(松たか子)的先生所說那句形容妻子的話。
「愛してるけど 好きじゃない。」
我愛著她,但不喜歡她。
真紀回答別府(松田龍平)所問夫婦是什麼的問題。
「夫婦って 別れられる家族なんだと思います。」
我認為夫妻就是可以分開的家人。
小雀形容天氣。
「どうして曇ってると 天気悪いっていうんですかね?
為什麼陰天就說天氣不好呢?
いいも悪いも 曇りは曇りですよね。
陰天就陰天啊沒什麼好不好的
私は青空よりも曇った空の方が好きです。」
對我而言比起藍天我更喜歡陰天喔。
家森對小雀說的話,而雀自己也明白只要不嘗試著跨越那道鴻溝,就可以一直留在非現實的夢境中吧!
「両思いは現実、片思いは非現実、そこには深〜い川が。。。」
兩情相悅是現實的,單相思是非現實的,這其中有很深的一道鴻溝。
真紀回應別府說出相遇的事實真相。
「悲しより悲し事って 分かりますか?」「ぬか喜びです。」
你知道比悲傷更令人悲傷的事是什麼嗎? 空歡喜。
雀在猶豫著要不要去看父親,邊吃飯邊哭著,真紀對雀說的話。
「泣きながら ご飯食べたことある人は、生けていけます。」
邊哭邊吃著飯的人,是能夠生存下去的。
有朱引述班傑明的話。
「音楽っていうのは ドーナッツの穴のようなもんだ、何かが欠けているヤツが奏でるか
ら、音楽になるんだよね」
音樂就像是甜甜圈的洞一樣,因為是有欠缺的人在演奏,所以才會成為音樂。
真紀在說出真相順利地取代了班傑明的工作之後,四人陷入了道德的矛盾及罪惡感中,真紀一段話重擊所有人。
「私達 蟻とキリギリスの キリギリスじゃないですか?
我們就像「螞蟻與蟋蟀」中的蟋蟀一樣不是嗎?
音楽で食べて行きたい っていうけど、
雖然說著想要靠音樂而生活
私達 好きな事で生きていける 人にはなれなかったんです。
但我們沒能成為能夠靠做喜歡的事而生活的那種人
決めなきゃいげないと思うんです。
所以我們必須做出決定
趣味にするのか それでも まだ夢にするのか?
把它當成興趣呢?還是依舊把它當成夢想?
趣味にできた蟻は幸せだけど 夢にしちゃったキリギリスは 泥沼で」
把它當成興趣的螞蟻過得很幸福 把它當成夢想的蟋蟀卻陷入了泥沼。
小雀在問別府是否喜歡真紀時,別府用疑問句回答她。
「質問に質問で返す時は 正解らしいですよ。」
用疑問句去回答別人的疑問句,一般是被說中了吧!
別府的告白。
「あなたといると、二つの気持ちが混ざります。
和你在一起的時候,心中就會混雜著兩種情緒
楽しいは 切ない 快樂又悲傷
嬉しいは 寂しい 高興又寂寞
優しいは 冷たい 溫柔又冷淡
愛しいは 虚しい 深愛又空虛
いとしくて いとしくて 虚しくなります。
愛著愛著 更是無窮無盡的空虛感
語りかけても 触っても そこには何もない
和你交談著 觸摸著你 那裡卻什麼都沒有
じゃあ 僕は一体何から あなたを奪えばいいんですか?
那我究竟要從哪裡搶走你呢?
真紀:
「この人には 私がいないとダメっていうのは
大抵 この人がいないと 私ダメ なんですよね。」
覺得”這個人不能沒有我吧“這種感覺的人,實際上是自己離不開這個人吧!
家森:
「妻と猫とカブトムシいて 話通じる順で言ったら
猫 カブトムシ 妻だからね。」
妻子 貓 獨角先,按照能夠交流的順序排列的話,
應該是貓 獨角先 妻子吧!
別府的同事九条對別府說的話:
「こっちだったかなって、思われるのは 被你覺得是這種關係
まあ しゃくだけど 気持ちはいいよ 算了 雖然有點生氣 但感覺還是不錯的
別府君のことは ずっと好きだったしね 我一直是喜歡你的
だから寝たわけだし 所以才和你睡了
それぐらいには 私だってズルいし 這麼看來我也是很狡猾的
いいんだけど、こういうのは、今日だけの事だよ 不過也沒什麼 這種事就只有今天喔
まあ 私もズルいし 別府君もズルい 反正我也很狡猾 你也很狡猾
でも 寒い朝 ベランダで 札幌一番 食べたら おいしかった。
但寒冷的早晨 在陽台吃的札幌拉麵很美味
それが 私と君のクライマックスで いいんじゃない?」
就把它當作是你我之間最好的部分吧!
小雀趁家森不在家時偷用他的1600円紫式部面紙
「一つだけ 一枚だけ 就抽一張 一張而已
一枚抜いだら二枚出ますね 抽了一張之後第二張也跟著出來了
2人分取ったら 3人分出て来ますよ 拿了兩張之後 第三張又出來了
追い詰められた 連続殺人犯みたいですね。」簡直就像走投無路的連續殺人犯一樣
雀的夢境裡,別府與她的問答。
「世吹さん、前も そのコーヒー牛乳飲んでましたよね、好きなんですか?」
世吹さん ,你之前也在喝這個咖啡牛奶吧?喜歡嗎?
「ああ はい 好きだってことを忘れるくらい いつも好きです。」
是啊,我喜歡到都忘了自己喜歡的程度了。
我最愛小雀了,希望她快樂!
同時推薦「それでも、生きてゆく」(仍然是我的最愛)!
*最終回之後補充:
看完最終回其實相較於網路上的一片好評,我覺得結局比較中規中矩,不過瘋狂的アリス再度出場而且講了句台詞
ちょろい:容易,簡單,想法淺薄等意思,在此表示人生對她而言簡簡單單而已。
真是臨死之前至少想講一次的人生台詞啊!!!!
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